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2008年12月 9日 (火)

罪と罰と人権と

千葉・幼女変死事件、いまだ不可解な点多く

 久々に競馬以外のネタで一本行きます。

 この容疑者の男が逮捕されてから、TV各局がここぞとばかりにその人物の撮り貯めていたVTRを垂れ流す浅ましさに、その映像を見るたびにいささか吐き気を催すような感覚を持っています。正直、あの人物のVTRでの言動から考えると、仮に彼が実行犯だったとしても、精神鑑定はほぼ必至。かなりの確率で無罪になる可能性もあります。万が一そうなったら、今の報道はどうする気なんでしょうかね。人物の特異性をおいしいと考えてセンセーショナルに煽っている感じが伝わってきます。一度電波に乗せてしまったものは取り返しが付かないのですが…。今後に大きな禍根を残しかねない危険を感じます。

 しかし、この事件と容疑者として逮捕された人物の状況を踏まえた上で、もし自分がこの事件の裁判員にでもなったらと考えると本当にゾッとしますね。仮にこの人物が犯人だったとしても、司法制度すら理解できるか覚束無いような人物を果たして法の下に裁けるのか、責任能力の有無や程度はどう判断すればいいのか、そして犯人であるはずの人物に無罪という選択肢が出たときにそれを選ぶ事が出来るのか。それらの選択に迫られた時に、正常な判断が出来る自信が全くありません。

 まず、この事件はわからない事が多いので断定的な物言いは避けますが、この人物が亡くなった少女を死に至らしめて、遺体を遺棄したとして、それが罪に当たるものなのだという認識があるか否か、それが罪に問えるかの根本的な部分になると思います。先日の連続官僚襲撃の某小泉のように「自分としては正しい事をしたと思っているが、実行すれば捕まる事は認識していた」状態とは根本的に異なるものです。

 「罪と罰」というのは行為とその代償を当人が理解していて初めて成り立つもののように思います。責任能力云々というのもその点を踏まえてのものでしょう。しかし今回のケースはそのスタートラインに立てるかどうかもわからない状態です。そのような人物を見世物のように報道している状況は、罪と罰を問う以前に人権にかなり抵触するのではという危惧を覚えます。

 もちろん、この人物が犯人だったとした場合、責任能力の有無にかかわらず、このような人物は2度と社会に出てこないようにして欲しいという感情は強く持っています。しかし、今回の一連の流れはそれとは別次元の問題で気味の悪さや何とも言えない不快感が自分の中で蠢いています。

 まあ、後でマスコミ各社が頭を下げるような展開にならなければいいんですけどねぇ。もうしばらく様子を見たいですね。

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